梅花高校:十二単の着装及び小袖の変遷

大阪梅花高校内にて学生さんを対象に『十二単の着装及び小袖の変遷』の講演と着物ショーを執り行いました。
現代のきものの源流は「小袖」と呼ばれるものです。小袖は平安時代の十二単の下着、及び庶民の衣服でした。その小袖が発展して現代の着物となる過程を時代ごとにファッションショーでお見せし、同時に今に伝わる十二単のお服上げを(着装)披露致しました。

十二単着装


A・Sさんの感想です。

初めて十二単を着てとても良い経験になりました。
中がどういうふうになっているのかまったく知らなかったので、重ねて着ていくうちに、わくわくしてきました。
20㎏でとても重たいと聞いた時は、耐えられるかなと少し不安になりました。
でも、大丈夫だったので安心しました。
肩にどんどんおもりが乗っていくような感覚はとても不思議な気がしました。
一生することのないような経験をさせていただき、とてもうれしかったです。
この経験は宝物となりました。本当にありがとうございました。

小袖の変遷


― 鎌倉後期 ~ 室町前期 ―

〈小袖に短裳〉


― 室町末期 ~ 桃山・江戸初期 ―

〈小袖に名護屋帯〉
室町末期より小袖にも華麗に作られたものが表われ始め、桃山期には、摺箔・刺繍・唐織物・緞子等、贅沢な絹織物も出現し、小袖が中心的な服飾として成立しました。文様としては、肩裾模様・片身替わり・段替わり等、大胆な文様構成が流行したようです。
当時の小袖は、身巾が広く袖巾が狭い。そして衿が長い事が特徴です。又、古代以来の貴族の服装様式にみられるおおらかで優雅な雰囲気にならったものといえます。当時は正座の習慣がなく、立膝をして座る事がほとんどであった為、裾がはだけるのを防ぐ目的からもこのような形態が必要であり、又当時の帯は、実用的なものから装飾的なものに変わり、帯巾も10㎝前後と思われる贅沢な生地のくけ帯が使われています。又、太い丸組みの紐の先端に房をつけた長さ3.8m(1丈)程の名護屋帯と呼ばれるものが流行しました。
名護屋帯の名称は肥前名護屋で唐糸で組んだのでこの名称があります。

A・Ⅿさんの感想です。

“初めて昔の着物を着ることができ、貴重な体験となりました。
私が着た短裳は、今の時代では着ることのできないものです。
そのような着物をきちんと着せていただき、本当にうれしかったです。髪型もあんなふうに布で巻いたのは初めてで、外れてしまいそうで少し気になりましたが、昔の娘さんはあんな感じだったと実感することができました。
今の着物はきれいな色や柄が印象的ですが、私の着た短裳はピンクや水色がとてもかわいらしいものでした。
十二単の中に着る小袖からこの短裳のような服装になるとは想像もつきませんでした。
もっとほかの着物も着てみたいし、またこのような体験もしてみたいと思いました。
今回はこのような体験ができて楽しかったです。本当にありがとうございました。”


― 江戸初期 ~ 江戸中期 ―

〈小袖に吉弥結び〉

江戸初期の頃、慶長小袖、別名地なし小袖と呼ばれる地色がが見えない程、文様が刺繍や摺箔でうめ尽くされた物が流行しましたが、これらは一時的なもので当時の小袖は町人文化と共に発達しました。
 この頃の小袖の形態は身巾と袖巾がほぼ同寸になり、又、帯巾が広くなるにつけ袖つけが短くなり、振りというものが生まれました。
 袖丈の長短に関わらず、振りのある袖を〝振り袖〟と呼び、それに対して従来の形式、袖つけが身頃いっぱいに縫い留めてある袖の事を〝留袖〟と呼びました。
文様としては、ひな形と呼ばれる小袖のファッションブックのようなものが表われました。
 江戸時代を代表する小袖模様としては慶長模様・寛文模様・元禄模様等があります。
 モデルの帯結びは吉弥結びと呼ばれています。
 帯の発達と共にその材質・色彩・文様等に気を配るようになり、結び方にも趣向を凝らすようになりました。この結び方は、歌舞伎の女形役者の上村吉弥の扮装から流行した帯結びで、帯巾3寸(約11.5㎝)帯の端を唐犬の耳が垂れるような形に片輪奈結びにして垂らしたものです。

◎被衣

中世の貴族・武家の間で「きぬかつぎ」と呼んでいましたが、近世になると貴族・武家階級だけでなく一般女性の間にも流行しました。

承応期一六五三年− 禁止令(刺客が用いたため)
安永期一七八〇年− 庶民の間でも禁止

A・Aさんの感想です。

“今回私は出雲阿国の衣装を着させていただきました。
私は、英語落語の活動をしているので、月に数回着物を着る機会はあるのですが、このような和装、しかも出雲阿国の衣装を着せていただくのは初めてなので、とても嬉しかったです。歌舞伎に関する本を読んだり、舞台やお芝居を観に行ったりした時に、出雲阿国が登場することもあったので、以前から出雲阿国に対する憧れを抱いていたのだと思います。
いざ着付けをしていただくと、現代の和装と安土桃山時代のものとではこんなにも違うんだと感じました。
まず、襦袢の形、着物の柄、生地など……。
違うところはたくさんあったのですが、何よりもその時代の名古屋帯が今まで見たどの帯よりも斬新でした。
今の帯のように太いわけではなく、本当にきれいな紐のような帯を腰に巻いて結んでいました。
今までは、きっちりとした太鼓帯のような形が好きだったのですが、このような少しラフな感じの、けれども美しい生地のおかげでより締まった印象をもたせる名古屋帯も好きになりました。
そして何よりまったく苦しくもなく、わら草履を履いていたこともあり、とても過ごしやすかったです。(もちろん、丁寧に着付けてくださったのが一番大きいと思いますが)一生に一度あるかないかの貴重な経験を、本当にありがとうございました。”


― 江戸中期 ~ 江戸後期 ―

〈紫の裾引きに路考結び〉

享保年間(一七一六年)きもの文化の中心は上方から江戸へ移り小袖と帯は庶民の代表的な衣服として花開きました。
 寛政の頃(一七八七年)になると幾度となく厳しい質素倹約令や、奢侈禁止令がとられその結果、江戸褄模様・裏裾模様といった表には派手さを押さえた目立たないおしゃれや又、格子・縞・無地・小紋等渋い好みのおしゃれを工夫し裏地や内着に贅をつくすそこ底いたり至〟が通人達の間でもてはやされ、江戸時代独特の「粋の美意識」が生まれました。
 又、この頃になると、帯巾も30㎝以上のものも使われ、特に庶民の間で昼夜帯、もしくは腹合わせ帯といった表地を黒繻子とし、内側に異なった地色や文様のある帯が好まれました。
モデルの帯結びは、歌舞伎役者瀬川路考にちなんだ路考結びです。この帯結びは、現在のお太鼓結びの起源ともいわれ、帯の両端から出る形の変化で様々な名称が付けられています。
 文化十年(一八一三年)帯結びの本として「都風俗けわい化粧伝」が出版されました。又、帯地としてきんらん金襴・ビロード・緞子(どんす)・繻子(しゅす)・綸子(りんず)・縮緬(ちりめん)等が使用されました。

Y・Tさんの感想です。

普通の着物や浴衣は着たことがありますが、路考結びは初めてで、とても貴重な体験をさせていただき、嬉しかったです。
初めてのカツラはとても重くて首が痛くなりました。
着物を着付けていただいた時は、浴衣とは違い、何重も着重ねてタオルも3、4枚巻きました。
肩パットをつけたり、薄い服をいっぱい重ねて着たりして大変でした。
着せてくださるスタッフの方も大変そうで、昔の人はこういうふうに着ていたんだと想像することができました。二人がかりで着せてくれたにもかかわらず、30分以上かかりました。
一枚タオルを巻いては紐でくくって……という繰り返しで、体がどんどん太っていくようでした。
外側からお腹を触っても全然感覚がないくらいでした。
ゲタを履いて歩くのは難しく、何回もこけそうになりました。
歩く時は、着物の端を持ちますが、それもけっこう重く、左手が疲れました。
重い頭、歩きにくいゲタ、着物を持つ左手といろいろ大変でした。
舞台に立ってみんなに見られて恥ずかしかったのですが、いろいろ声をかけてもらって緊張もし嬉しかったです。
家に帰ってからもいろいろ話しました。
こんな経験はめったにできないのでよかったです。勉強にもなりました。
着物を着せてくださったり髪の毛をセットしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。


― 明治時代 ―

〈小袖に袴〉

平安時代以来、公家の女性が着用してきた袴は鎌倉時代以降衰退し、宮中以外で袴をはく姿は見られなくなりました。この女子の袴姿が復活するのは明治になってからです。西欧文明の導入と共に椅子に座る生活が公式になってくると女子も外を歩く事が容易で裾さばきを気にしない服装が必要となってきます。
 そこで宮中では「袿袴道中着姿」が導入されました。明治十三年(一八八〇年)の事です。
 この当時のキャリアウーマン達も必然的に袴をはくようになりましたが当初は男性の袴を着用していました。これでは少々見た目が武骨ですので女袴が生まれました。
一八八五年、華族女学院(学習院女子部の前身)の下田歌子が今日の女袴を考案したと言われています。その基本となったのが、袿袴の切袴だそうです。

F・Sさんの感想です。

今回、服装史の授業で袴を着付けていただきました。
普段着物を着る機会があまりないので、とても新鮮な気持ちになりました。
袴はシルエットが可愛くて女性らしく、とても気に入りました。皆より少し早く卒業式の気分が味わえてよかったです。
また着付けにも興味がわいたので、次は人に着付ける体験もしてみたいと思いました。

S・Hさんの感想です。

女袴を着せていただき、生まれてはじめての貴重な会見ができました。とても楽しかったです。
女袴は一度は着てみたいと思っていたので、うれしかったです。
他の着物も見ているだけでとても勉強になりましたし、私も着てみたいと思いました。
昔の人はこういう着物を毎日着ていたのだと思い、私もその時代に戻ってみたいような気がしました。
着付けをしてくださった方もとても優しく、楽しく安心して舞台で披露することができました。
こんな貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
またこんな機会があれば体験したいです。


― 現代のきもの(留袖) ―

〈留袖〉 ミセスの正式礼装のきものです。留袖の語源は江戸時代、結婚後、又は男女共元服すると振袖の振りを切って身頃に振りを縫い留めた、いわゆる「袖留」のきものを着用したところから起こった名称といわれています。
黒留袖と色留袖がありますが、黒は婚家に一生とどまる意志を込めているといわれており、特に結婚式の仲人・新朗・新婦の母親は通常黒留袖を着用します。
又、別名江戸褄ともいわれています。これらは模様付けからつけられた名称です。帯は袋帯。結び方は二重太鼓。二重太鼓はお太鼓結びの変形で、太鼓の部分が二重になっているのでこの名がつきました。

S・Nさんの感想です。

今回は留袖を着付けていただき、とても貴重な体験ができました。本当にうれしく思っています。
着せてもらう前からどんな留袖を着せてもらえるのだろうとワクワクしていました。
柄を見た時、「こんな素敵なものを着られるなんて……」と思いました。本当によかったです。
着付けをしてもらった後、他のモデルをした友達と一緒に自分の姿を鏡に映して見た時、とてもきれいな留袖で感動しました。
いざ舞台に立つととても緊張したのですが、みんなから「女将やん」と言われ、かえって緊張がほぐれました。
「女将」と言われてからは、自分でも女将にしか見えなくなり、おかしくて笑えました。
この留袖を着て、本当に日本人でよかったと思いました。
伝統ある着物を生で見ることができたし、自分も着ることができて幸せでした。
またいつかこういう機会があれば体験したいです。

〈振袖〉 ミスの正式礼装のきものです。元来は、留袖(袖留)に対して振りのある袖の事でしたが、現代では袖丈の長いきものを振袖と呼んでいます。
正式には本振袖と呼ばれる五つ紋付で裾は共布の引き返しになっており、下重ねを重ねて袖丈も約114㎝必要ですが、昨今では、大振袖・中振袖等の略礼装で代用される事が多くなりました。


E・Sさんの感想です。

奈良からわざわざお越しくださり、ありがとうございました。
小さい頃からお着物に興味があり、今回このような貴重な体験をさせていただき、うれしく思いました。
多様なお着物は歴史があり、時代ごとに変わっていくことがわかり、勉強になりました。
今後、お着物にたずさわることがあれば、積極的に関わっていきたいです。


今回の『十二単の着装及び小袖の変遷』をご依頼頂いたコンセプトは以下の5つだとの事です。

①自分の可能性を発見し夢を実現する
②日本語力・コミュニケーション力を身につける
③豊かな感性と他者を思いやる優しさを育む
④社会の動向を見据え、社会に貢献する
⑤国際感覚や柔軟な思考を磨く

梅花高等学校教員福島和薫先生